#16 フードデリバリーアプリから事業をスタートし、クラシルが国内No.1のレシピ動画サービスになるまで - dely共同創業者 大竹 雅登氏
「スタートアップ オフレコ対談」は、XTech Venturesの代表手嶋とゲストの方をお呼びして対談する番組です。今回はdely※の共同創業者で元CTOの大竹さんに、フードデリバリーアプリから事業をスタートし、撤退、そしてレシピ動画事業成功までのdelyの創業ストーリーをCTOの目線からお話いただきました。
初期は自身で走ってデリバリーもしていたという生々しい創業エピソードから、市場で圧倒的No.1を目指してZホールディングス参画をしたお話まで必見です。
※以下本文では「dely」と表記していますが、2025年10月1日付で dely株式会社 は クラシル株式会社に商号変更されています。現在の社名はクラシル株式会社です。
スピーカー
・大竹 雅登氏(@masatootake)
dely共同創業者、元CTO
・手嶋 浩己(@tessy11)
XTech Ventures代表パートナー
目次
・delyの創業と成長、そして新規事業への挑戦
・堀江氏との出会い:一枚のスケッチから始まった共同創業
・最初の挑戦と挫折。フードデリバリー事業の立ち上げの裏側
・動画メディア「クラシル」の誕生前夜
・Facebook動画投稿から始まった「クラシル」の原型
・事業の急拡大期、CTOとして見据えていたこと
・先行投資のプレッシャーと資金調達の舞台裏
・Zホールディングス傘下へ。成長を加速させるための決断
※記事の内容は2022年2月時点のものです。
delyの創業と成長、そして新規事業への挑戦
手嶋: XTech Venturesの「スタートアップ オフレコ対談」を始めたいと思います。最近は「全然オフレコじゃない」と突っ込まれることもありますが、オフレコのような本音の話を深掘りしていく番組です。
本日のゲストは、dely株式会社の共同創業者でCTOの大竹雅登さんです。先日delyがイオンリテールさんとの連携という非常に大きな発表をされ、私も大変驚きました。代表の堀江さんはお忙しいだろうと思い、急遽、大竹さんにご連絡し、このビッグニュースの背景を詳しくお伺いしたいと考えています。
まず冒頭でお伝えしておくと、私は前職時代に投資家としてdelyに出資させていただいた経緯があり、大竹さんとのお付き合いはもう5年ほどになります。そして、その大竹さんが来月ご結婚式を挙げられるとのこと。ご入籍はもう済まされたのですか?
大竹: はい、入籍しました。
手嶋: おめでとうございます。紆余曲折あったお二人と伺っていますが、無事にご入籍され、来月には披露宴ということで、私も参加させていただきます。なんと乾杯の挨拶という大役を仰せつかり、今から練習を繰り返しているところで、非常に緊張しております。
さて、本日の対談では、敬意を込めて「大竹さん」と呼ばせていただきます。この対談の視聴者は、ほとんどの方が「delyの大竹さん」としてご存知かと思いますが、改めて簡単な経歴と自己紹介をお願いできますでしょうか。
大竹: 改めまして、dely株式会社の大竹と申します。delyは2014年、代表の堀江と私が大学在学中に共同で創業した会社で、気づけばもう8年ほど在籍しています。
創業当初からCTOとして開発全般を統括してきました。現在主力の「クラシル」というサービスは2016年にアプリをリリースしたのですが、初期はエンジニアが私一人しかおらず、アプリからサーバーサイドまで、すべてを自分で開発していました。
その後、仲間が増えるにつれて、開発組織のマネジメントやプロダクトマネジメントへと役割がシフトしていきました。
そして2018年、クラシルの次の柱を創るべく、eコマース事業を立ち上げるという経営判断を下しました。そのタイミングで私自身が事業サイドに移り、現在はコマース事業の事業責任者を3年ほど務めています。さらに昨年からは「クラシルデリバリー」という新規事業もスタートさせています。
手嶋: ということは、現在のコマース事業の形になるまで、3年の歳月がかかっているのですね。
大竹: そうですね。事業開始当初は今とは全く異なるビジネスモデルで、自社でミールキットを開発・販売していました。しかし、それがなかなかうまくいかず、試行錯誤を繰り返しました。3回ほど大きなピボット(事業転換)を経て、現在の事業モデルにたどり着いた、という経緯があります。
手嶋: ありがとうございます。その詳細については、後半でじっくり伺いたいと思います。前半は、delyの基盤を築いたメディア事業のこれまでを中心にお聞きし、後半では新規事業や今後のdelyの展望、そして組織文化の変化などについて掘り下げていきたいと考えています。
堀江氏との出会い、一枚のスケッチから始まった共同創業
手嶋: まず、delyの創業期についてお伺いします。堀江さんは慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)を中退されていますが、大竹さんはご卒業されたのですか?
大竹: はい、1年間休学した後、2017年に卒業しました。
手嶋: 卒業前にdelyを創業されたのですね。ということは、私が初めてお会いした2016年頃は、まだ学生だったわけですね。
delyマニアの間では有名な話かもしれませんが、2014年に堀江さんが大竹さんを見つけ出したエピソードについて、改めて教えていただけますか?堀江さんの創業前の話は、他の投資家の方々からも色々な逸話を聞くのですが。
大竹: 堀江とはもともと同じ大学でしたが、学部も違いますし、授業で一緒になったこともなく、全く面識はありませんでした。ただ、間接的に彼の存在は知っていました。
当時、SFCに「起業と経営」という、様々な経営者が登壇する人気の授業があったんです。私はSFCの学生ではなかったのですが、その授業に興味を持ち、毎週金曜日の夕方に通っていました。堀江もその授業を受けていたわけではないのですが、ある時、その授業の感想を綴った彼のブログが「慶應のホリエモンが思ったこと」といったタイトルでバズったんです。同じ授業に興味を持つ学生のブログということで、一方的に彼のことを認識していました。
そんな中、起業する1年前の2013年12月頃、突然Facebookで彼からメッセージが届きました。後から聞いた話では、「起業と経営」のFacebookグループでエンジニアを探し、私に連絡をくれたそうです。「IT業界で働いていて、起業を考えている。一度話さないか」という内容でした。
当時、エンジニアをしていると、そういったお誘いのメッセージを時々もらいましたが、少し怪しいと感じることも少なくありません。
そのため、普段ならお会いしなかったかもしれません。しかし、偶然にも彼と私の実家が電車で2駅ほどの距離だったのです。家が近いこと、同じ大学であること、そして一方的に彼のことを知っていたこともあり、「一度会ってみよう」と思いました。
綱島のカフェで会ったのが最初の出会いです。その場で彼は、小さなノートにレストラン、ドライバー、ユーザーの三角形を描き、フードデリバリーのビジネスモデルを熱心に説明してくれました。そのビジネスモデルの面白さはもちろん、彼の誠実な人柄や事業に対する真摯な姿勢に惹かれ、その日のうちに「一緒にやろう」と決め、共同創業に至りました。
手嶋: それは大学何年生の時ですか?
大竹: 大学3年生になる直前の春休みでした。
手嶋: 1年生の頃はアルティメット(フリスビーを使うスポーツ)をされていたんですよね。一方で、大竹さんは慶應の理工学部、情報工学科の出身ですが、コンピューターサイエンスはいつ頃からやられてたんですか?
大竹: 大学入学と同時にMacを買い、独学でiPhoneアプリのプログラミング言語であるObjective-Cの勉強を始めました。3ヶ月ほど勉強した後、未経験でも応募可能だったミニゲームを開発する会社でアルバイトを始め、そこで初めて業務としての開発経験を積みました。大学1年生の時からですね。
手嶋: 高校生や大学1年生の頃から、漠然とでもインターネットサービスを作りたいという思いがあったんですね。
大竹: はい。高校生の時に初めてiPhoneを手にした時の感動が原体験です。製品としてのクオリティの高さに衝撃を受け、ITやソフトウェア開発に興味を持つようになりました。
手嶋:理工学部の学生が、SFCの「起業と経営」という講座に、いわば「潜り」で参加するというのは珍しいですよね?
大竹:単位は取得できない形での聴講でしたが、おそらく私以外にはいなかったと思います。
手嶋:どのような興味から参加しようと思ったのですか?
大竹:最初の体験授業に、クックパッド創業者の佐野さん(SFCの1期生)が登壇されたんです。佐野さんが「大学に行くのとは逆方向の電車に乗って海辺で考えていたら、クックパッドのアイデアが閃いた」というような創業秘話を語っていて、そのエピソードが純粋にかっこいい、面白そうだと思ったのがきっかけです。それで正式に聴講を決め、その後の授業もすべて受けました。
手嶋: 佐野さんのお話を聞く前から、起業家の話には興味があったのですか?
大竹: はい、興味はありました。ただ、その時点ではまだ自分が「起業したい」とまでは考えていませんでしたね。サービス作りに興味があり、経営者の話を聞くうちに、だんだんと起業への関心が高まっていった形です。
delyを創業する前、日本の企業を通じてインドのバンガロールとアメリカのシリコンバレーで、それぞれ1ヶ月ずつエンジニアとしてインターンを経験しました。カオスな熱気を持つインドと、最先端の技術が集まるシリコンバレー。現地で起業している方々と話す中で、日本にいる時とは全く違う価値観に触れ、それが非常に面白いと感じたのが、起業を具体的に意識する大きなきっかけになりました。
実はdelyを始める前に、一度自分で起業しようとアクションを起こしたこともあります。アクセラレーションプログラムに応募し、採択直前までいったのですが、本気になりきれず、結局は断念してしまいました。
手嶋: 今お話を伺っていると、delyという会社になったのは偶然かもしれませんが、大竹さん自身が様々な行動を起こしていたからこそ、いずれ何らかの形で起業する運命にあったように感じますね。
最初の挑戦と挫折。フードデリバリー事業の立ち上げの裏側
手嶋: 2014年に堀江さんとフードデリバリー事業を開始されましたが、この事業は創業から1年半ほどで撤退することになります。エンジニアとしては、どのようなものを開発されたのですか?
大竹: 私はiOSアプリのすべてを一人で開発しました。サーバーサイドは、その後に入社した別のエンジニアが担当していました。
手嶋: 当時の堀江さんは勢いがあり、資金調達も成功させて、大学生を中心に一気に人が増えましたよね?
大竹: はい、エンジニアも全員学生でした。今や起業家として活躍している山内奏人くんなども、当時はオフィスに出入りしていましたね。組織が最大規模になった時は、ちょうど20人くらいの人数でした。
手嶋: 今振り返ると、当時の組織運営について「もっとうまくやれたはずだ」と思うこともあるかと思います。当時は真剣だったけれど、後から思うと笑ってしまうようなエピソードは何かありますか?
大竹: そうですね。デリバリーサービスというと、今でこそUber Eatsのようなギグワーカーの仕組みが当たり前ですが、当時はその発想がなく、アルバイトを雇用して配達していました。最初に3人ほどのアルバイトを採用し、注文が入ったらすぐに駆けつける、という体制です。ところが、全く集客ができず、注文が全然来ない。配達員はただ座っているだけなので、3人を2人に、2人を1人にと減らしていきました。ついには「1人すらいらないのではないか」ということになり、アルバイトを全員解雇してしまったのです。
つまり、配達員が誰もいないデリバリーサービスが誕生しました。注文が入ると、開発メンバーやビジネスメンバーの中から「誰が行く?」という話になり、「注文来たから、ちょっと行ってくるわ」と、夜9時や10時にオフィスを飛び出して配達に行く、ということを大真面目にやっていました。
手嶋: メンバー間で行く人の押し付け合いになったりはしなかったのですか?
大竹: 「最初に気づいた人が行こう」というような暗黙のルールがありましたね。率先して行ってくれる人もいれば、みんなが微妙に空気を読み合う、といった感じでした。もちろん堀江も「行ってくるわ!」と自転車で、時には自転車がなくてダッシュで配達に行っていました。
動画メディア「クラシル」の誕生前夜
手嶋: そこから堀江さんが「これは厳しい」と撤退を決断されるわけですが、その決定は突然だったのでしょうか、それとも徐々に伝えられていったのでしょうか?
大竹: 段階的でしたね。事業を終了したのが2015年の1月末なのですが、その月始めの経営合宿では、まだ事業を続ける前提で話をしていました。デリバリーのビジネスモデルを、個人宅への配達からケータリングのようなBtoB向けに変えようという方針で、私はケータリングのポータルサイトを開発していました。
しかし、1月の中旬になるにつれて、徐々に社内に「このままでは無理ではないか」という空気が漂い始めました。そして最終的に、私が開発したケータリングポータルサイトをリリースした、まさにその翌日に事業撤退が決定しました。
手嶋: 撤退が決まった瞬間は、どのような雰囲気だったのですか?
大竹: 堀江が皆の前で「やめるぞ」と宣言したのですが、悲しい雰囲気は全くなく、むしろ「さあ、次の事業だ」という前向きな空気でした。
実はその頃、フードデリバリーの集客施策の一環として、インターン生が料理に関するWebメディアを自主的に立ち上げていたんです。デリバリー事業本体が全く盛り上がらない一方で、そのメディアの方がうまくいくのではないか、という話が少しずつ出ていました。
ですから、撤退が決まった時もメンバーは「そうだよね」と納得した様子で、大きな議論になることもなく、その場で「じゃあ、メディア事業をやっていこう」というムードになりました。
ただ、本当に大変だったのはそこからです。メディア事業に転換するという意思決定には皆が同意し、最初は「今度こそうまくいくはずだ」という期待感に満ちていました。しかし、メディア事業も決して簡単ではなく、なかなか成果が出ません。
もともとメンバーは「フードデリバリーをやりたい」というビジョンに惹かれて集まってきています。目的が変わった上に事業が伸び悩むと、「自分たちは何のためにこれをやっているのだろう」という疑問が生まれてくる。
メンバーの多くは休学中の学生だったので、春休みが終わるタイミングで学業に戻るかどうかの決断を迫られます。そこから、毎月2人、3人と、少しずつメンバーが辞めていく状況が続きました。この時期が精神的に最もきつかったです。
手嶋: 最終的に、組織はどれくらいミニマムになったのですか?
大竹:堀江と私だけ、という状況にはなりませんでしたが、最小で4人ほどまで減りました。
手嶋: これは大竹さんだからこそお聞きしたいのですが、ご自身が「もう辞めようか」と悩まれた時期はありましたか?
大竹: はい、ありました。私の記憶では、堀江に2回真剣に相談しています。
一度目は2015年の8月です。「このままでは、どうにもならないのではないか」と、ランチの後に時間を取ってもらって話をしました。その時、堀江はこう言いました。「今辞めたら絶対に後悔する。俺ならこの事業を立て直せる。だから、今辞めたら絶対に後悔する。もう半年、一緒に頑張ってみないか」。その言葉を聞いて、「分かりました」と続けました。
しかし、その3ヶ月後、長く一緒に頑張ってくれた中心的な社員が辞めてしまったのです。その時、再び堀江に「これからどうしますか」と相談しました。答えは同じでしたが、今回はより具体的でした。「もう一度だけ頑張ってほしい。来年、2016年3月までに何か変化を起こせるか。期限を切るから、そこまでは一緒にやろう」と。
その明確な期限を設けられたことで、腹が決まりました。「何が何でも、何かをやらなくてはならない」。その強い危機感の中から生まれたのが、後のクラシルにつながる「動画事業」への挑戦だったんです。
Facebook動画投稿から始まった「クラシル」の原型
大竹: とにかく何かを変えなければいけない、という状況でした。ちょうどその頃、アメリカでFacebookに動画を投稿するフォーマットがトレンドになっていたのです。「これをやれば、何か活路が見出せるのではないか」と、藁にもすがる思いで始めました。
手嶋: TastyやTastemadeといった動画メディアが流行していた頃ですね。
大竹: はい。ただ正直に言うと、事業が生まれる瞬間というのは、特に若手起業家にとってはそういうものだと思いますが、その施策がどれほど大きな事業に成長するかまでは、全く考えていませんでした。
手嶋: まずはボトムアップで動画を投稿してみたら、「いいね」がたくさん付いた。だからもっと投稿してみよう、というような感覚ですよね。まだ大掛かりなシステム開発も不要な段階で。
大竹: まさにその通りです。SNS上で、とにかくスピード感を持って試していく。今振り返ると、動画というフォーマットが直感的に自分たちに向いていると感じていましたし、それまでのWebメディアに比べてユーザーの反応がダイレクトに返ってくるのが純粋に面白かった、という感覚です。
実は当時、レシピ動画だけでなく、様々なジャンルの動画メディアをFacebook上で展開しようと試みました。最初に始めたレシピ動画の反応が良かったので、それに続いてニュース、ライフハック、動物、ビジネス情報といったように、いわゆる「分散型メディア」の定石に倣って、最初の2ヶ月ほどで一気にジャンルを広げていったのです。
ただ、多角的に広げた結果、代表の堀江が「やはりレシピに絞ろう」という大きな決断を下しました。私自身は、分散型メディアとして広げていく戦略を考えていたので、その決定には「本当に大丈夫だろうか」と少し不安を感じました。ですが、「レシピの反応が一番良いのだから、ここに集中しよう」という堀江の鶴の一声で、事業方針は一本化されました。
手嶋: ひょんなことから始まった試みの中で、事業家としての嗅覚が鋭く働いた瞬間だったのですね。
大竹: その決断は本当にすごいと思いました。Facebook上で動画を撮影・投稿するだけなので、この時点ではまだ開発リソースはほとんど必要なかったんです。
手嶋: その時、CTOである大竹さんは何をされていたのですか?
大竹: 私はデータ分析で事業をサポートする役割を担っていました。Facebookページが提供するアナリティクス機能を活用し、投稿したすべての動画の「いいね」数やコメント数といったエンゲージメントデータを取得。特に反応が良かった動画を可視化し、「次はこういう方向性の動画を増やしていこう」といったデータに基づいた提案を行っていました。
手嶋: なるほど、社内の分析ツールを構築し、PDCAを回していたのですね。その後の展開は、皆さんがご存知の「クラシル」の歴史に繋がっていきます。レシピ動画アプリの大戦争時代に突入し、各社が大型の資金調達を行い、CMを放映し、組織を急拡大させていく。2016年の後半頃からの、まさに怒涛の時代ですね。
事業の急拡大期、CTOとして見据えていたこと
手嶋:当時CTOだった大竹さんは、会社が急激に膨張していく様や、社会からの期待、そして巨額の資金が入り、またたく間に出ていく状況を、どのような視点で眺め、何を考えていたのでしょうか。
大竹: 私の考えは一貫していました。「事業の成長に必要なことは、すべてやる」ということです。それまでの2年間、事業が全くうまくいかない苦しみを経験してきたからこそ、目の前にある有望な事業の種を育てられることは、この上なく幸せなことだと感じていました。ですから、エンジニアリングとしての面白さや技術的な探求心は一旦横に置き、とにかく事業の成功を最優先に考えていました。
まだ開発者が私一人だった頃、アプリ化への転換は非常に重要な意思決定でした。競合よりも一日でも早くリリースするため、「3週間後にアプリをリリースする」と期日から逆算して決めました。その3週間は、文字通り朝から晩まで開発に没頭する日々でしたね。
最終的に「クラシル」のアプリをストアに申請したのは、夜中の3時頃だったと記憶しています。当時オフィスに寝泊まりしていた社員と一緒に、最後の動画を入稿する作業を4時間ほど続けました。
無事にリリースを終え、「これはかなり良いものができたな」と手応えを感じながら、深夜に中華料理を食べて帰ったのは、今でも良い思い出です。
手嶋: 当時の主要な競合は「DELISH KITCHEN」でしたが、Facebook上では彼らの方が先行していたのですか?
大竹: はい、半年近く先行されていました。
手嶋: そこからどのようにキャッチアップしていったのですか?
大竹: アプリリリース後は、何よりもまず採用に注力しました。特に、リリースから4ヶ月後に大規模なテレビCMを放映することが決まっていたため、インフラの強化が急務でした。現状のままでは、アクセス急増に耐えられずサーバーが落ちることは明らかでしたから。優秀なインフラエンジニアを一人採用するために奔走し、なんとかCM放映に間に合わせることができました。そのおかげで、サービスを停止させることなくCMの効果を最大化できたのです。
その頃から、私自身はコードを書く時間を意図的に減らしていくことを意識し始めました。最初はアプリ、サーバーサイド、インフラと全てを自分で見ていましたが、それぞれの領域を任せられる仲間が増えるにつれて、一つ、また一つと役割を剥がしていきました。
最後に残っていたiOSアプリ開発も、新たなエンジニアに任せることができ、2017年の夏頃には、私はコードを書かなくても開発組織が回る状態を構築しました。
先行投資のプレッシャーと資金調達の舞台裏
手嶋: 当時、私も株主として会議に参加させていただいていたので記憶していますが、競争に勝つために先行投資を強化し、バーンレート(資金燃焼率)が非常に高くなっていました。社内ではヒヤヒヤしながら事業を進めていたのでしょうか?それとも、大局的な自信があったのでしょうか。
大竹:いえ、ものすごくヒヤヒヤしていました。私は開発担当でしたが、実質的にプロダクトマネージャーのような役割も担っていました。メディア事業では、リテンションレート(顧客維持率)が非常に重要な指標になります。テレビCMを放映するとユーザーは一気に増えるのですが、CMを止めると、当然ながら一定数のユーザーは離脱していきます。株主報告会でその右肩下がりのグラフを見せるのは、本当に地獄のような時間でした。
手嶋: 「データサイエンスを駆使して…」と説明しつつも、「本当に分析できているのか?」というような厳しい雰囲気になることもありましたね。
大竹: あの時期は精神的にきつかったですが、厳しい指摘を受けたからこそ、データに真摯に向き合うことの重要性を学んだ、非常に良い経験だったと今では思います。
手嶋: 正直なところ、当時のdelyがジャフコさんなどから大型の資金調達を決めてきた時は、外部から見ていて「すごい決断をしてきたな」と驚きました。堀江さんが「調達してくるぞ」と宣言してから、どのようなプロセスで進んでいったのですか?
大竹: 資金調達期間中の堀江は、皆さんが想像する通り、目が血走っていました。目の前にいる出資可能性のある投資家を口説き落とすことに、文字通り命を懸けているような状態です。そのため、社内は非常にピリピリした雰囲気でした。
彼が誰かに当たるようなことはありませんでしたが、「このリテンションレートをどうにかできないか」「ここを改善できれば、もっと評価されるはずだ」といった議論が、その数ヶ月間、絶え間なく続いていました。
私たち開発チームは、そのプレッシャーを受け止め、指摘された課題を改善するための開発に必死に食らいついていく、という状況でしたね。
手嶋: そのピリピリした緊張感が、逆に投資家には「本気度」や「凄み」として伝わり、大型調達に繋がったのかもしれないと、今振り返ると思います。
Zホールディングス傘下へ。成長を加速させるための決断
手嶋: そうした激動の時代を乗り越え、サービスは大きく成長し、気づけばZ Venture Capitalやソフトバンクグループが株主となっていました。そして、Zホールディングス(現LINEヤフー)の連結子会社として上場を目指すという、現在のスキームに至ったわけですが、この話は堀江さんから突然聞かされたのですか?
大竹: そうですね。資本政策を考える中で、「この座組が、delyが勝つための最善手ではないか」という話が持ち上がり、堀江から相談を受けました。正直なところ、当時はその決断がもたらす影響について、完全には理解できていませんでした。
Zホールディングスのグループに入ることで、独立した経営と比べてどれくらい自由が利かなくなるのか、何が変わるのかが分からず、大きな不安を感じたのが本音です。
私個人としては「まだ早いのではないか」とも思いました。しかし、「レシピサービスとして圧倒的No.1になることが最も重要であり、そのためにはヤフーという巨大なプラットフォームと組むことが最短経路だ」という堀江の説明を聞き、最終的には納得しました。
手嶋: 統合後の実態についてお伺いします。外部から見ていると、delyはTRILL(女性向けメディア)事業を統合するなど、グループ入りのメリットを享受しているように見えます。表に出ていない部分で、事業や組織にどのような良い影響がありましたか?
大竹: 個人的に最も価値があったと感じるのは、経営的な視座が大きく引き上げられたことです。私たちdelyがグループ入りした2018年の年末、ZホールディングスはPayPayを開始しました。私たちは、PayPayがサービス開始から圧倒的シェアNo.1を獲得するまでの一連の流れを、グループの内側から目の当たりにすることができたのです。
それまでの私たちは、「お金がない中で、いかに工夫して勝つか」というスタートアップの戦い方しか知りませんでしたし、それが全てだと思っていました。
しかし、Zホールディングスの戦い方は全く違います。「潤沢な資金を投下し、いかにして圧倒的No.1のシェアを確実に獲るか」。これは、お金があるから簡単というわけでは決してなく、むしろ非常に難易度の高い戦略です。
その最前線で指揮を執る経営陣から直接話を聞き、delyをさらに大きく成長させるためのアドバイスをもらえる環境は、お金には代えがたい価値がありました。この経験を通じて、delyの経営陣の能力は一気に向上したと感じています。
手嶋: ちょうどZホールディングス自体も、PayPayやLINEとの経営統合など、この3〜4年で最も大きな変化を遂げた時期と重なりますね。
大竹: その通りです。もし親会社が変化のない安定した大企業だったら、私たちも学ぶことは少なかったかもしれません。しかし、私たち以上に凄まじいスピードで、より大きな規模の変革を次々と起こしていく姿を間近で見たことで、「大企業病になるのではないか」といった懸念は完全に払拭されました。むしろ、自分たちが置いていかれないように必死になるほどのスピード感で、非常に良い刺激を受けました。
手嶋: 少し話は変わりますが、先日、サイバーセキュリティ企業の「イエラエセキュリティ(旧:ココン)」がGMOインターネットグループに参画するという発表がありました。これもdelyと似たスキームに見えますが、この動きは大竹さんの目にはどう映りますか?
大竹: 広く捉えると、現在のIT業界では、全く資本がない状態から大逆転を狙うことが、昔に比べて少しずつ難しくなっていると感じています。業界が成熟してきたからこそ、すでに大きなプラットフォームを持つ企業から資本を受け入れ、協調関係の中で事業を伸ばしていく、という選択肢の重要性が増しているのではないでしょうか。
私たちも当時はそこまで深く考えていたわけではありませんが、今振り返れば、資本が集約していく大きな流れの中で勝ち残っていくために、Zホールディングスとの連携は極めて重要な経営判断だったと思います。
手嶋: 2〜3年後には、delyとイエラエセキュリティの事例が、スタートアップの成長戦略として比較され、語られる時代が来るかもしれませんね。GMOも変化の大きなグループなので、今後の展開が楽しみです。
はい、それでは前半戦はここまでとさせていただきます。貴重なお話をありがとうございました。続く後半戦では、いよいよ現在の事業である「クラシルデリバリー」やイオンリテールさんとの提携、そしてdelyの組織における新たな変化について、さらに深くお聞きしていきたいと思います。大竹さん、前半戦、ありがとうございました。
大竹: ありがとうございました。
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