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#26 「売上なし、担保なし」銀行に断られた40歳の起業家が、急成長SaaSを生み出すまで ー KiteRa植松隆史氏

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「スタートアップ オフレコ対談」は、XTech Venturesの代表手嶋とゲストの方をお呼びして対談する番組です。今回は社内規程管理クラウドの社労士向けサービス「KiteRa Pro」などを展開する株式会社KiteRa代表取締役 執行役員 CEOの植松隆史氏に登場いただきました。

前編では、企業に所属する社労士(勤務社労士)であった植松氏が、「起業を考えたこともなかった社労士」から40歳で起業することになったきっかけや会社設立時の苦労、そこから現在の大躍進に至ったきっかけについてお伺いしています。

<スピーカー>

・植松 隆史 
株式会社KiteRa代表取締役 執行役員 CEO

・手嶋 浩己(@tessy11
XTech Ventures代表パートナー

<目次>

・45歳、横浜在住。SIer勤務から「無理やり脱サラ」しての起業
・就職氷河期を経て、住宅営業から機械設計、そして人事労務へ
・「規程作成」の非効率さがKiteRaを生んだ
・M&Aによる事業中止の危機、そして借金を背負っての「買取独立」
・起業直後の絶望。「売上なし・担保なし」で銀行融資を断られる
・シード資金調達と「社労士向け」への完全ピボット
・コロナ禍の追い風とインキュベイトキャンプでの飛躍
・「大人の黒子系SaaS」としての組織カルチャー

※記事の内容は2022年4月時点のものです。

45歳、横浜在住。SIer勤務から「無理やり脱サラ」しての起業

手嶋:本日はスタートアップ・オフレコ対談ということで、先日資金調達を公表された株式会社KiteRa(キテラ)の社長、植松さんにお越しいただいています。植松さん、こんにちは。まずは前半でこれまでのKiteRaの歩みを、後半では今後の展望についてお話しいただければと思います。簡単に自己紹介をお願いできますか?

植松:こんにちは、KiteRaの植松です。よろしくお願いします。私は1976年生まれの45歳で、ずっと神奈川県横浜市で暮らしています。

現在はKiteRaという会社の代表を務めていますが、前職では中堅のシステムインテグレーション会社(SIer)に14年ほど勤務していました。その在職中に社会保険労務士(社労士)の資格を取得しまして、その資格を生かしたビジネスができないかと考え、2019年4月に無理やり脱サラをしてKiteRaを創業し、現在に至ります。

手嶋:私と植松さんの出会いは、2019年の「インキュベイトキャンプ」というイベントでしたね。ただ、KiteRaの話を掘り下げる前に、まずはそこに至るまでの植松さんのキャリアについてお伺いしたいと思います。

私とほぼ同世代で、20年ほどの社会人経験がある中で、会社経営はここ数年のことですよね。それまではどのようなお仕事をされてきたのでしょうか?

就職氷河期を経て、住宅営業から機械設計、そして人事労務へ

植松:大学を卒業してからは、まず大手ハウスメーカーに就職しました。そこで営業や住宅の設計などに携わっていました。

手嶋:それは、高い志を持って入社されたのでしょうか? それとも、なんとなく就職活動をして入られたのでしょうか?

植松:私たちは就職氷河期世代ですので、「とにかく、どこかに入れれば」という気持ちで入社したのは確かです。ただ、人生で一番大きな買い物である「家」に関われるのは面白そうだと感じていました。そこには丸3年在籍しました。

手嶋:意外と早い転職ですね。その後はどうされたのですか?

植松:その後は毛色が変わりまして、機械設計や電子回路の設計をしている会社に転職しました。そこで初めて人事労務領域の仕事を担当することになりました。

手嶋:業種も職種も大きく変わったのですね。何か変えたいという思いがあったのでしょうか?

植松:その頃から「人」に関わる仕事に興味を持ち始め、人事労務の仕事ができそうな会社を探していたところ、ご縁があって入社できました。

そこで大きなキャリアチェンジをした形です。そこには2年半から3年弱ほど在籍し、その後、一番長く勤めることになる前職のSIerのキャリアを歩み始めました。

前職のSIerには14年ほど勤務しました。「今後IPO(新規上場)を目指す」というフェーズで入社し、IPOプロセスに携われることに魅力を感じていました。結果的には途中でM&Aとなり上場には至らなかったのですが、私は上場準備の中心メンバーとして、内部統制やリスクマネジメント、ガバナンスを整える業務を長く担当していました。

手嶋:14年の中で、人事労務から管理部門全般、上場準備まで経験されたわけですね。社労士の資格はどのタイミングで取得されたのですか?

植松:前職時代の2013年頃に取得しました。もともと人事労務の専門資格があればいいなとは思っていたのですが、企業内で仕事をする上で必須の資格ではありません。最初は「手に職があれば、もっと自由に働けるのではないか」という軽い気持ちで勉強を始めました。

しかし、やはり簡単な試験ではなく、1回目で落ちてしまって。そこで逆に火がついてしまい、「受かるまで辞められない」と意地になって勉強しました。明確な目的というよりは、悔しさからの自己啓発でしたが、それが今に生きています。

「規程作成」の非効率さがKiteRaを生んだ

手嶋:システム会社の管理部門に勤めながら、現在のKiteRaの着想を得て事業化し、スピンアウトされたとお聞きしています。なぜ「規程」に関するプロダクトを作ろうと思ったのか、その背景を教えていただけますか?

植松:アイデア着想の原点は、私自身の原体験にあります。内部統制を整えるプロセスの中で、社内規程を作成する作業がありました。上場準備のためにはかなりの数の規程を作らなければなりません。私も経験がなかったので、最初はインターネットで無料のテンプレートをダウンロードしてカスタマイズしていました。

しかし、あちこちから集めてきたものは構成も言葉遣いもバラバラで、そのままでは使えません。この作業があまりに非効率だと感じ、「同じような面倒くささを感じている人が他にもいるのではないか」と思ったのがきっかけです。2015年から2016年頃のことでした。

手嶋:そこから実際にプロダクトを作り始めるまでの飛躍には、何があったのでしょうか?

植松:当時、社内で「新規ビジネスコンテスト」のような公募制度があり、ネタ探しが行われていました。その延長線上で、軽い気持ちでパワーポイントの企画書を持っていったところ、当時の社長が「面白そうじゃないか」と反応してくれたのです。

社内にはエンジニアがたくさんいたので、簡単に動くモックアップを作ってもらいました。それを知り合いの人事労務担当者に見せてヒアリングしたところ、「これがあったら絶対欲しい」という好感触を得られました。そこで、社内の手が空いているエンジニアを集めて作り始めたのが始まりです。

M&Aによる事業中止の危機、そして借金を背負っての「買取独立」

手嶋:社内コンテストから始まるのはよくある話ですが、そこからスピンアウトして起業するというケースは珍しいですよね。どういう経緯だったのですか?

植松:ソースコードを書き始め、ある程度動くものができて、いよいよ社内新規事業として立ち上げようというタイミングで、先ほどお話ししたM&Aの話が舞い込んできました。

そのディールの中で「新規事業をやっている場合ではない」ということになり、プロジェクトの中止が決まってしまったのです。

私としては、せっかくここまで作ってきたものを捨てるのはもったいないという思いが強くありました。当時の仲間数名と相談し、「自分たちで世に出してみよう」と決意しました。そこで、それまでにかかった開発費用を資産として個人で買い取り、そのソフトウェアを持って起業しました。当時はまだ完成形ではなく、半分くらいできた状態でした。

手嶋:40歳前後で、個人で決して少なくない金額を買い取って起業するというのは、思い切った決断ですよね。もともと起業やスタートアップへの憧れや知識はあったのですか?

植松:いえ、まったくの未知の世界でした。起業しようと考えたこともありませんでしたし、「スタートアップ」や「ベンチャー」という言葉すらほとんど知らない状態でした。

手嶋:それでも借金を背負ってまで起業したのは、このプロダクトを世に出したいという強い気持ちだけだったのでしょうか?

植松:知り合いの人事担当者に見せた時の反応がすごく良かったことが大きいです。実際にお金を払ってもらったわけではないので、今思えば恐ろしいことですが、当時は「これは絶対に売れる」と思い込んでいました。「そんなにリスクはないだろう」という大きな勘違いをしていたからこそ、踏み出せたのだと思います。

起業直後の絶望。「売上なし・担保なし」で銀行融資を断られる

手嶋:2019年4月に自信満々で会社を作り、そこから現実はどうでしたか?トントン拍子に進んだのでしょうか?

植松:いえ、最初の半年間は苦しい思い出しかありません。会社を登記してモノを作るまでは想像がつきましたが、その先は知識がなく全く想像できていませんでした。

お恥ずかしい話ですが、銀行に行けば運転資金を貸してくれると思っていたんです。銀行の窓口に行ったら「売上は?」「担保にできるものは?」と聞かれ、「売上はないです」「マンションはありますが住宅ローンが残っています」と答えると、「それでは難しいですね」と断られてしまいました。そこで初めて知識不足を痛感しました。

その後、日本政策金融公庫などの創業支援融資の存在を知り、なんとか2,000万円ほどの融資を受けることができました。しかし、数人で活動していたのでその資金もあっという間に底が見えてきました。キャッシュアウトが目前に迫り、半年後には「解散は避けたいから、各自で稼いで生き延びよう」という話になりました。私は社労士として、エンジニアは受託開発をして、それぞれの稼ぎで会社を維持しようとしました。

手嶋:創業からわずか半年で、「副業で食いつなぐ」という状況になったのですね。

植松:はい。そのタイミングでエンジニアの一人が「現場に出るのは嫌だ」と言って辞めてしまいました。これはいよいよダメだと思い、当時エントリーしていたVC(ベンチャーキャピタル)主催のピッチコンテストなども全てキャンセルしようとしました。「もう事業を続けられないので辞退します」と連絡したんです。

ところが、あるピッチイベントの担当者の方から「もう枠を押さえているから出てもらわないと困る」と言われまして。

仕方なく、本当に義務感だけでそのイベントに行きました。すでにVCからは何度も断られていましたし、「どうせ出資なんてしてもらえないだろう」と心が折れていましたから。

手嶋:そこで何が起きたのですか?

植松:嫌々参加したその会場に、ライフタイム・ベンチャーズの木村さんがいらっしゃいました。木村さんを含め数名の方が「すごくいいビジネスだから出資させてほしい」と言ってくださったのです。私は「嘘でしょ?」と信じられず、その場で創業メンバーに「もしかしたら出資を受けられるかもしれない」とSlackを送りました。するとメンバーからも「嘘でしょ?」と返ってきました(笑)。

手嶋:副業の準備をしていたメンバーからすれば信じられませんよね(笑)。

植松:そこで「今回は本当だから来てくれ」と呼び寄せ、木村さんと話をしました。木村さんは他の投資家の方々とは全く違いました。通常は「ビジネスモデルを変えたら?」といったアドバイスをいただくことが多いのですが、木村さんは「自分だったらこうする」と言ってホワイトボードに事業モデルを書き始め、「一緒にやろう」と熱く語ってくれました。この人となら一緒にやっていけると感じ、木村さんに投資をお願いすることに決めました。

シード資金調達と「社労士向け」への完全ピボット

手嶋:そこ数社からオファーがあり、最終的に木村さんを選んで4,000万円の出資を受けられたのですね。これで副業をせずに事業に集中できるようになった、と。

植松:はい、キャッシュの不安は一旦落ち着きました。しかし、プロダクトをリリースしてまだ2〜3ヶ月でトラクション(実績)も出ておらず、エンジニアも辞めてしまったため、今度は「どうやって売上を作るか」「どうやって仲間を集めるか」という問題に直面しました。私自身もとにかく営業に走り回りました。

手嶋:当初は一般事業会社向けに販売していたと思いますが、そこそこの売れ行きだったのでしょうか?

植松:ポツポツとは売れていましたが、想定していた勢いはありませんでした。そんな中、リリースから半年経った2020年の春頃、なぜか社労士事務所が使い始めていることが分かりました。私も社労士ですが、なぜ社労士がこのツールを使うのか最初は理解できませんでした。

ヒアリングに行くと、「社労士業務としてこれを使うとすごく便利だ」という声が聞けました。開発リソースが限られる中、一般企業向けの機能を作るか、社労士向けの機能を作るかという議論になり、最終的に「一旦、社労士向けに振り切ろう」という意思決定をしました。私は実は反対したのですが、他のメンバーの意見を採用して事業会社向けの受注を止めた結果、これが正解でした。

手嶋:一般企業向けと社労士向けでは、何が違うのですか?「規程管理」という意味では同じように思えますが。

植松:社労士は数百社もの顧問先企業を抱えており、その顧問先の規程を作成・管理するのが仕事です。そのため、顧問先とのインターフェースや、企業ごとに管理できるフォルダ機能などが必要になります。自社の規程だけを管理する一般企業とは、効率的な管理という視点が大きく異なりました。

コロナ禍の追い風とインキュベイトキャンプでの飛躍

手嶋:2020年のコロナ禍突入と、社労士向けへのピボットが重なった時期ですね。営業活動への影響はどうでしたか?

植松:不謹慎かもしれませんが、コロナは我々にとって追い風でした。一番大きかったのは、商談がオンライン化したことで全国の顧客にアクセスできるようになった点です。また、リモートワークの普及により「在宅勤務規程」などの就業規則を見直す需要が急増しました。社労士への依頼が増える中で、それを効率化する我々のツールが求められたのです。

手嶋:その後、三井住友海上キャピタルからのブリッジファイナンスを経て、2020年秋の「インキュベイトキャンプ」で私と初めてお会いしたわけですね。その頃にはスタートアップの知識も身についていましたか?

植松:そうですね。当初はトラウマがあってインキュベイトキャンプへの参加も断り続けていたのですが(笑)、参加した頃にはスタートアップ界隈の文化やノリもキャッチアップできていました。結果的にキャンプでは総合2位と「ベストグロース賞」をいただき、手嶋さんとも出会えて、事業をブラッシュアップできたので本当に行って良かったと思っています。あれがなければ今はなかったかもしれません。

手嶋:インキュベイトキャンプの時点では、まだ社内でも社労士向けに完全に振り切るか迷いがあったようですが、私を含め「社労士向けに特化した方がいい」というアドバイスがあり、完全に舵を切られましたね。その後、我々も出資させていただき、現在は社労士事務所の導入数が1,000社近くに達するなど、驚くほど順調に成長されています。

「大人の黒子系SaaS」としての組織カルチャー

手嶋:組織やチームの進化についてもお聞きしたいのですが、KiteRaにはどのような方が集まり、活躍されているのでしょうか?

植松:現在は「THE MODEL」型の組織体制に加え、社労士有資格者などの専門家チーム、そしてテックチームがバランスよく拡大し、40〜50名規模になっています。

特徴的なのは、早い段階からコーポレート部門(管理部門)のメンバーが充実していた点です。現在8名ほどいますが、おかげでカルチャー作りや制度設計を初期から整えることができ、組織崩壊を起こさずに来られました。

手嶋:派手なPRをしていない中で、KiteRaを選んでくれる方の動機は何でしょうか?

植松:カルチャーに共感してくれる方が多いです。私たちは「安心して働ける世界をつくる」を掲げ、規程というルール作りを支援しています。そのため、自分たちの会社もロールモデルになろうと発信しています。ベンチャーらしい「ガリガリ、キラキラ」した雰囲気とは対照的に、私たちは自分たちを「大人の黒子系SaaS」と呼んでおり、その落ち着いた雰囲気や心理的安全性に魅力を感じて入社してくれる方が多いですね。

手嶋:前半は、知らなかったエピソードも含めて非常に興味深いお話でした。ありがとうございました。後半では、今後のKiteRaの展望についてお伺いします。

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