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#22 メタバース空間「cluster」で急成長を遂げるクラスター、CEOの原点とサービス誕生秘話 一クラスター 加藤直人氏

#22 メタバース空間「cluster」で急成長を遂げるクラスター、CEOの原点とサービス誕生秘話 一クラスター 加藤直人氏の画像
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「スタートアップ オフレコ対談」は、XTech Venturesの代表手嶋とゲストの方をお呼びして対談する番組です。今回はVR空間で人が集まることができるメタバースプラットフォーム「cluster」を展開するクラスター株式会社の代表・加藤さんに登場いただきました。

前編では加藤さんの学生時代、クラスター創業の経緯、「cluster」誕生までのプロダクト、そこの撤退判断基準などについて話を聞きました。

<スピーカー>

・加藤直人氏(@c_c_kato
クラスター株式会社 代表取締役CEO

・手嶋 浩己(@tessy11
XTech Ventures代表パートナー

<目次>

・なぜ京都大学へ? アニメと科学が好きだった少年時代
・「陰キャ」だった小学生時代と、科学への目覚め
・PCとの出会いと、インターネットへの没入
・大学1・2年は「ほぼ単位ゼロ」。インターネットの反動
・研究への目覚めと「アインシュタインへの憧れ」
・なぜ大学院で引きこもったのか?アカデミアへの違和感
・Skyland Ventures木下氏との出会い。起業は「一大決心ではなかった」
・「体力的に疲れた」から生まれたclusterの原型
・圧倒的な反響と「パズルのピースがはまった」感覚

※記事の内容は2022年3月時点のものです。

なぜ京都大学へ? アニメと科学が好きだった少年時代

手嶋:はい、始まりました。「スタートアップオフレコ対談」ですね。今日はもういろんなメディアで見ていらっしゃるクラスターの加藤さんなんですけど、いろんなお話は皆さん聞いたことがあると思うので、できたら他のところで出てない話を聞いていこうかなと思っています。加藤さん、よろしくお願いします。

加藤: はい、よろしくお願いします。

手嶋: じゃあ、簡単に自己紹介お願いします。

加藤: はい、よろしくお願いします。クラスターの代表をやっています、加藤です。クラスターというサービスは、最近はメタバースというふうに呼ばれるようになりましたけれども、バーチャル空間の中で集まって生活したりもできるし、バーチャル空間を活用してイベントをしたいとか、都市みたいなものを作りたいとか、そういったニーズに応えるというプラットフォーム型の事業をやっている会社です。

一言で言うと、このバーチャル空間上で生活してしまおう、と。家から出ずに、家の中だけで生活させてしまうみたいな、そういうコンセプトのことをコツコツとずっとやっていたら、気づいたらコロナ禍がやってきて、気づいたらメタバースと呼ばれるようになっていたという会社です。今日はよろしくお願いします。

手嶋: 今、「気づいたら」とありましたけど、それが100%すべて狙ってやっていたって話もこれから出てくるかもしれないので、そういう話をちょっと聞ければなと思っています。

手嶋: 私が加藤さんと会ったのは、実はユナイテッド時代と、このXTech Venturesと2回、投資させていただいてるんですけど、最初に会った2016年や2017年ぐらいの時、もう今の加藤さんは、おおむね出来上がってたんですね。

アイデンティティというところでいくと、私は最初に会った時から今の加藤さんはほぼできていた感覚があって。でも、なぜ加藤さんは加藤さんなんだろうみたいなところから、ちょっと追っていきたいなと思っておりました。

なので、起業前の話が、ちょっと今日は多くなるかもしれないです。まず、子供の時の話というよりは、少し物心ついた時ぐらい……大学生時代の話とか大学院時代の話が結構出ているので、ちょっと中高生ぐらい、思春期の頃ってどうだったのかな、みたいな。

加藤: なかなかしゃべらないですね。わかりました。

手嶋: そもそも、なんで京都大学を目指して入ったんですか?

加藤: そうですね。京都大学を目指したっていうところから行くと、生まれは僕、大阪なんですけど、大阪の中心からちょっとズレたところに住んでたんです。

町工場みたいなのが結構あるような場所で、すごく人の匂いがする町で……空気感がすごい嫌だったんです。その中で、普通に科学大好き、アニメ大好きみたいな感じの少年として、すくすく育ったわけですね。「宇宙をやりたい」「宇宙の研究したい」とか、「宇宙で働きたい」みたいなのをピュアに思ってたっていうのが、小学生、中学生ぐらいです。

その想いをずっと持って高校生になったので、「宇宙やりたい」っていうのをずっと思っていて。物理とか数学がすごい好きだったので、どこに行こうかと考えていた中で、国内だったら、東京大学か京都大学かどっちかに行こうか、と。で、海外行く選択肢も考えてたんですけど、親の経済的な理由で国内になりました。家庭がいわゆる、すごい貧困家庭だったので。

手嶋: あ、そうなんですか。

加藤: そうです、上中下でいうと、おそらく下みたいな感じの家庭だったんですよね。あんまりお金が使えないので、国立大で安くなるところに行ってください、と。かつ、東京とか行かないでほしいみたいなことを母親に言われたというのもあって。僕も物理をやるんだったら、東京大学と京都大学で考えると、京都大学は、古くは湯川先生とか朝永先生みたいなノーベル賞を出してっていうのもあって、京都大学がいいかなと思って、京都大学に行ったっていう感じでしたね。

「陰キャ」だった小学生時代と、科学への目覚め

手嶋: なるほど。ちょっと今の話の中でも、いろいろ聞きたいことが出てきたんですけど、まず、アニメ好きとサイエンス好きの子供だったっていうのが、さらっと言いましたけど、多分掘るといろいろ出てきそうだなと。まず、アニメ好きはイメージするじゃないですか、今だと。科学好きっていうのは、どのぐらい科学好きだったのかっていうのと、いつぐらいからそんな感じだったんですか?

加藤:いつからっていう観点で言うと、おそらく本当に物心つくかつかないくらいからな気がするんですね。外で遊ぶのがすごく苦手だったんですよ。

手嶋:引きこもってたんですね、加藤さん。

加藤:そうですね。すごい引きこもり気質ですね。なんかよく小学校の低学年くらいの時って、「外で遊びなさい」みたいな風潮があったじゃないですか。「公園行って遊びなさい」みたいな。他の家庭がどうかわかんないですけど、「外に行って友達と遊んできなさい」って言われて、すごいそれが嫌で嫌で仕方なくて。図書館に逃げ込んで、図鑑読んでみたいなのをやってたのが小学校低学年だったっていうのがあって。

その時に好きだったのが、宇宙の本とか、生物の本とか。あと数学の本とかも読んでましたね。もちろん分かってないんですよ、小学校低学年なので。

手嶋: 逃げ込んでたんですね。

加藤: 図書館に逃げ込んでいって。友達と、公園でドッジボールとかしてるじゃないですか、小学生って。あれが嫌だった。めちゃくちゃ嫌だったんですよね。なんで嫌だったかって今言われるとわかんないんですよ。なんか結構生理的に嫌だったっていうか。そういう陰キャな子供だったっていうのがあって。なおかつ、当時のことでうっすら覚えているのが、僕、趣味があって、家の中でスーパーボールを壁にぶつけて、跳ね返ってくるのをキャッチするというのが、すごい大好きで。

手嶋:模様を数えるみたいな遊びですね。

加藤: そうなんだと思うんですけど、スーパーボールにどう回転をかけて、どういう軌道になるか、どう跳ね返ってくるかを予測しながら投げて取るというのが趣味で。5時間くらいスーパーボールをポコポコ壁に投げてみたいなことをやっていたのを覚えています。なんかそういうすごい陰キャな感じの小学校低学年でした。

手嶋: 球技のボールが嫌いなわけじゃなかったわけですね。友達はドッジボールをやってるけど、自分はスーパーボールで別の球技をやったわけですね。

加藤: そうですね。スーパーボールの跳ね返ってくる弾道予測をしていたという。そういう遊びをしてました。

手嶋: それが科学だとは思ってないですよね、自分の中で。

加藤: ないですね。

手嶋: サイエンスとか科学っていう概念が自分の中に入ってきて、そういうのに興味あるなっていうのは、中学ぐらいですか?

加藤:そうですね、興味を持ち始めたのは、小学校の高学年くらいからですね。最初は、電子工学だったんですよね。きっかけはゲーム機だったんですよ。ゲームボーイカラーを買ってもらったんですけど、ただ、家が貧困かつ、そんなにゲームばっかりやってちゃダメだというような家庭だったんで、電池を買ってもらえないと。

手嶋: なるほど、電池。

加藤: そうです。で、コンセントを指して充電するアダプターを持っている人がすごい羨ましくて。なんとかして、コンセントからゲームボーイに電力を供給できないかっていうのを、小学校の4年生か5年生くらいの時に考えるようになっていて。

「よし、分解して自分で電力を供給しよう」と。で、家にあるコンセントを改造してつないで、なんとかしてゲームボーイで遊ぶことができないか、みたいな。そういうしょうもない感覚で分解し始めたら、面白くなっちゃって。いろんなものを分解するようになったっていうのが、一番最初だったんですね。リモコンとか分解するようになって。ちなみに、そのゲームボーイに電力を供給するっていうのは失敗したんですけど。

手嶋: なかなか、うまくいかないですか?

加藤: うまくいかなかったんですけれども、なんか分解しているうちに、「電気回路はこうなってるんだ」っていうのはその時に理解したんですね。確か小学校4年生とかそれぐらいだったんですよね。ポケモンをすごくやりたかったんです。

試行錯誤を繰り返すうちに、電気回路というものが存在するというのをうっすら認識したんですよね。で、コンセントとか電池で電力というものを供給しているんだっていうのを認識し始めて。家にあるものをなんか分解してつなぎ合わせたりとかっていうのをやり始めたっていうのが小4、小5でした。多分、サイエンスを認識し始めたのはそのあたりですね。

で、なんかモーターとか買ったりとか。ミニ四駆が流行ってたんで、モーターだけで自分でミニ四駆を作ったりしてました。

手嶋: だからあれですよね。親に感謝ですよね。今の話を聞く限りは、要するに制約があったから、創意工夫をしようということになり、創意工夫しているうちに原理原則に気づいたってことですよね、物事の。

加藤: そうです。原理原則を見るようになって。まあ、動機としてはしょうがないんですけどね、ポケモンやりたいみたいな。でも、そういうことを考えながら、モノを壊して作ってみたいなのをやってたのが小学生でしたね。

PCとの出会いと、インターネットへの没入

加藤:それで小6ぐらいになった時に、親のお下がりでパソコンをもらった。

手嶋: もう次はパソコンですね。

加藤: そうですね、その時からソフトウェアの方に移っていくんですけど。小6の時にもらって何を始めたかっていうと、最初の方はアプリケーションを触って、まだプログラミングとか、そこにはいかないんですけど。パソコンをもらって、インターネットとかつないで、なんか面白いなっていう感じにはなっていました。

そのあと、小6の部活かなんかの先輩で知り合いがいたんですけど、すごい仲良くなって。アニメとかもすごい好きっていう先輩に、あれをもらったんですよ。その当時、コンパクトディスクのコピーライティングをブロックするっていうのが弱かったんですよね。

手嶋:(笑)。時効すぎている話ですよね、これ。

加藤: 違法コピーソフトですね、たくさん詰まったコンパクトディスクをもらうようになって、それでめちゃくちゃゲームをやりまくってたっていう小学校6年生ですね。

当時えげつなかったのが、違法コンパクトディスクが流行るようになって、パソコンゲーム市場、結構破壊されたんですよね。簡単にコピーできるようになっちゃって。もうちょっと後ぐらいから、簡単にはコピーできなくなってきたんですけれども。

……もう一個時効なんだと思う話をしちゃうと、当時、18禁のゲームを、もらって。

手嶋: その先輩は時効じゃないんじゃないですかね。

加藤: あれ、時効じゃない(笑)。まあまあ、ちょっとわかってなかったと。当時の自分は18禁だったらわかってなかったかもしれないんですけど、そういったゲームが、たくさん入っていたコンパクトディスクを何枚ももらって、そういうゲームをやり始めたというのが小学校6年生ぐらいの時代でした。

手嶋: 加藤さんは(地元の)公立の中高でしたっけ?

加藤: はい、公立です。

手嶋: 中学受験をしてないから、小学校時代に大らかな日々を過ごしてたってことですよね。

加藤: そうですね、受験勉強してなかったですね。物心ついた時からめっちゃ言われてたんですよ。「うちは貧乏だから公立に行ってね」「塾も行かせられないからね」っていうふうに。そんなもんかって思ってたっていう感じでした。

大学1・2年は「ほぼ単位ゼロ」。インターネットの反動

手嶋: 気づいたら、加藤さんの幼少時代の話で、もう20分たっちゃいまして。でも大変面白い、今まで出てない原形が見えてきたなって感じですよね。加藤さんはそうやって作られてきたんだって感じですけど。

ちょっと話が飛びまして、大学に引きこもってたという話がよく出てくるんで、その手前ぐらいまで飛びたいなと。サイエンス、宇宙を勉強したいと京都大学に入って。大学時代、宇宙物理学を真面目に勉強してたんですか?

加藤: 大学1、2年は全然真面目じゃなかったです。ちゃんと理由があって。なぜかというと、インターネットにめっちゃハマったんですよ。なぜかというと、高校時代、インターネットができなかったんです。どういうことかっていうと、中学校の頃には、インターネットにどっぷりハマったんですね。パソコンもらって。

中学校2年生くらいの時に、『ガンダムSEED』にハマって、プログラミングの本を買いに行って。で、プログラミングにハマってたんです。これは僕が悪いんじゃなくて姉が悪いんですけど、高校に入った時に、インターネット代金の請求がめっちゃ来た、月額で10万円近く。

手嶋: それは結構いきましたね。

加藤: そうなんですよ。というのがあって、親が「これを子どもに渡すのはダメだ」と、インターネットを解約され、インターネット禁止令が出たんですね。今だったら、子どもにもちゃんとデジタルネイティブな教育をしましょうっていう風潮がありますけど、当時はそんな感覚なかったんで、普通にインターネットできなくなっちゃって。

その反動ですね。大学に入った時に、一人暮らしをさせてもらえるようになって。「大学に入る前に全然金かかってないんだから、一人暮らしくらいさせてくれ」と。自分で奨学金を取って、かつ働いて家賃払ったりとかするからって。それでインターネットが自由に使えるようになったっていうのがあって、めっちゃハマっていました。

それがあって、大学1、2年は全然勉強していなくて。大学1年生の時は取得単位数が…。2年間で65単位取らないと3年生に上がれないんですね、京都大学の理学部って。その65単位のうち、1年終わった段階で取得単位数が4か6か、それぐらいだったんですね。

手嶋: ほぼゼロ(笑)。

加藤: 逆になんか4か6とれたんで、なんか京都大学ってすごいなって思ったという。

手嶋: ほぼ同じことをやってたら、偶然取れた授業があったってことですね。

加藤: そうです。なんか名前書くだけで単位が出るっていうのがあったっていう。1〜2年生の時は本当に勉強をやってませんでした。

研究への目覚めと「アインシュタインへの憧れ」

手嶋: じゃあ2年で単位いっぱい取ったんですか?

加藤: そうです。2年の時は単位を、正確に言うと「取ってもらった」んです。

手嶋: それ、時効の話ですか?それとも時効ではない話ですか?

加藤: これ、時効なのかな……。でもこれ、京都大学のインタビューでも答えて、京都大学的にもOKっぽかったので大丈夫かなと思いながら話すんですけど。

ちょっとでかいサークルに入り浸っていて。今のクラスターCFOの岩崎もそこで一緒だったんですけど。僕、こんな感じのテンションでしゃべるので、偉そうに見えると。なので、他に代表をやる人がいないから「お前が代表をやってくれ」っていうふうに、すごい頼まれて。。

僕はめっちゃ嫌だったんですけど、僕の取得単位数4か6かの成績表をみんなに配って、「僕はできない」と。「2年で代表なんてやって時間が使えないってなると、3年生に上がれないのでできません」って言ったら、周りのみんなが「じゃあ、俺らが取るか」っていうふうに言ってくれたということですね。

手嶋: この話はちょっと危なそうなんで、この辺で(笑)。

加藤:そのサークルを引退した後は、結構ガッツリと勉強しましたね。いったん、インターネットも飽きてきたというわけではないですけど、落ち着いてきたので、ちゃんと研究しようというふうに思ってっていうのが、3年の時でしたね。

手嶋: その時は大学院に行こうと思って?

加藤: 思っていました。アカデミアの道に進もうって考えてたんですね、当時。やっぱり、一番憧れていた人がアインシュタインというのがあって。やっぱり科学でノーベル賞を取ることに対して憧みみたいなのができてきてたんですね。

中高のきっかけは、宇宙は『ガンダム』が好きだったから。最初はエンジニアリングの方だったんですけど、高校でサイエンスをやってるうちに、自然科学にすごい興味を持つようになって。アインシュタインすげえなと、相対性理論すげえっていうので、宇宙をやりたいっていうふうに考えていました。

大学に入って、実際そっちの研究室の方向に進んでいったっていうような感じですね。宇宙をやる上で、実験をやりながら研究する方法と、完全にペンと紙だけで計算して研究する方法っていうのがあったんですが、最近主流になってきてる、計算機とコンピューターを使って宇宙をシミュレートしようっていうところに、研究領域として興味を持ったんですね。僕自身がエンジニアでパソコン大好きっていうのがあったので。

具体的な研究内容は、宇宙のビッグバンですね。ビッグバンが広がるときに、今はインフレーション理論って言って、どんどん加速しながら宇宙が広がっているっていうのがメインストリームの考え方なんですよ。普通、爆発ってちょっとずつ弱くなるはずなのに、めっちゃ加速している。なんでだろう、みたいな。そこに対してのモデル化、宇宙がどうやって広がっていくかを計算しようということを、やっていたのが3年生から4年生にかけてですね。

なぜ大学院で引きこもったのか?アカデミアへの違和感

手嶋: じゃあ、あれですよね。就活とかは概念としてないわけですね。流れで院に行くわけですよね。で、ここからよくメディアに出ている話なんですけど、大学院時代に引きこもったと。ものすごく熱くビッグバンの話をされたわけですよ。

その熱い加藤さんだったはずなのに、大学院に行って、なぜ研究を一生懸命やるんじゃなくて引きこもったのか。なにかきっかけがあったんですか?

加藤: きっかけみたいなものがあったわけじゃないんですけど、どちらかというと、積もり積もってという感じなんですね。正確に言うと、大学院の時はその量子物性系の研究室に行ったんですね。量子コンピューターの研究をやってたんですよ。

4年生の時に卒業研究をやるんですけど、当然、宇宙の研究をやってたんです。でも、理学部の仲良かった友達に「こっち(量子物性)も面白いから絶対ゼミに顔を出せよ」と誘われて行ってみたら、結構面白くて。なんか気付いたら、そっちで卒業論文まで書いて。

宇宙って、コンピューターでの計算っていう分野にはすごく可能性を感じつつも、理論に対して実験が全然追いついてないんですね。理論がめちゃくちゃ先行してるんです。なぜかっていうと、宇宙にそんな簡単に行けないし、地球に届く光や物質の観測だけっていうので、なかなか進まない。ベーシックな理論は100年前くらいからそんなに変わってないんですよ。

でも、量子コンピューターの方とかは、すごく領域として熱かったので、もう毎日のように新しい論文が出てくるし、こっちの方が面白いなというので、そっちに行ったんです。

大学院に入った時に、当時、量子コンピューターを実現するための粒子をどうやれば安定に作れるかという研究をやっていたんですけど、その領域って論文がポコポコ出てくるんですね。「実現できた」って。で、大体できてないんですよ。

流行りの領域なんで、すごい数の論文が出てきて。なんか「アカデミアってこんな感じなんだ」みたいな。「数打ちゃ当たる」みたいな感じになっちゃってたんですね。かすりさえすればノーベル賞という、運ゲーに近いところがあると思うようになっちゃってて。その頃、僕はアルバイトで、インターネットアプリの受託開発で稼いでたんですよね。当時、2011年か2012年くらいかな。震災があった後にLINEが出てきて、アプリがすごく伸びて。個人開発者による、スマートフォンアプリがランキングを席巻した時代があったじゃないですか。

手嶋: 2012年くらいの時ですね。

加藤: 1週間、2週間で作ったアプリが何百万ダウンロードされました、みたいな時代。あれを趣味でやっていたら、こっちの方が面白いよっていうふうに思い始めてきたんです。

だから、自分はサイエンティストなのかなって思ってたんですけど、そのうち「エンジニアなんだな」って気づき始めた。理論家っていうか、研究者はちょっと一旦離れるかっていうふうに思ったのが、あの当時の心境です。

手嶋: それでフリーランスないし、ゲームプログラマーとして活動したっていう感じですかね。

加藤: そうですね。その時に、じゃあ就職活動をするかって言われたときに、一応、就職活動っぽいことをしたんですよ。

手嶋: 僕が面接官だったら嫌ですね、加藤さんみたいな(笑)。

加藤: 僕も嫌ですね、クラスター社に来たら絶対落とします(笑)。いや、わかんないですけど。まあ、何してたかっていうと、その時に「じゃあ働くってどんなところがいいのかな」って言って、世の中から企業を調べたりっていうのをネットでしていたんですね。

全業種、業界マップを見ながら、いろいろ調べてっていうのをやってたんですけど、熱いなと思えるところが見つからなくて。

それよりかは、個人で家の中で、インターネットにどっぷりハマりながらアプリとか作って、そこそこ稼ぎながら引きこもってる方が楽しいかなって思ってしまって。ちなみにエントリーシートを送ったりとか、面接したりとかまでは一切行ってないです。

手嶋: リサーチで断念した。

加藤: リサーチで断念しました。

Skyland Ventures木下氏との出会い。起業は「一大決心ではなかった」

手嶋: なるほど。そんな感じの中で、ここからは結構出てる話ですけど、スカイランドベSkyland Venturesの木下さん(木下慶彦氏)と出会って、「東京に来い」って言われて行ったら「起業しろ」って言われて起業したと。まあ、明らかに突然、異文化の人じゃないですか、木下さんって、当時の加藤さんからすると。びっくりしたんですか、やっぱり。

加藤: びっくりしました。まあ、木下さんの名誉のために言うと、「東京来い」みたいな感じではなかったです。逆です。

僕は、開発ブログを書いてたんですね。アプリを出したりとかしていて。勉強会に出てほしいっていう要望をもらっていたんですよ。結構ニッチな、ゲームエンジンの本を書いたりしていたんで。「勉強会に来てよ」って言われて、東京に行くタイミングがあったんです。

手嶋: 立ち寄ったってことなんですね、連絡もらったから。

加藤: もっと言うと、「行くタイミングが2週間後にあるから、その勉強会の会場に来てくれるなら会いますよ」みたいな感じで行ったら、来てくれたんですよ。

手嶋: 木下さんの行動力ですよね。

加藤: そうですね、びっくりしました。なんかしゃべってたら、「いや、会社作ってほしい。出資したい。1000万円くらい用意するから」とか言われて、「えっ、このおっさん何言ってんだ」って思って。怖い、みたいな。カルチャーに接点がなさすぎたんで。

手嶋: そうですよね。でも、そこから、木下さんの熱意にほだされる部分もあるし、会社を作ることになるわけじゃないですか。で、東京に出てきましたよね。それは今思うと、一大決心みたいな感じだったのか、それとも、そういうこともやってみるかみたいな、いい意味でライトに考えてたから始められたのか。

加藤: もう、その観点で言うと、全然一大決心ではなかったですね。

手嶋: ああ、そうですよね。

加藤: そういう生き方があるんだって思ったんですよ。だから、その場では当然断りますよね。「なんだこのおっさん、怖い」みたいな。いきなり会社を作って1000万円出すからって。

でも、その後、木下さんの投資先の人などを結構紹介してもらったんですよね。それでカルチャーを知ったんです。「あ、スタートアップってこういうカルチャーなんだ」と。木下さんの投資先のところを、アルバイト感覚で手伝ったりとかしたんですよ。当時、アプリ開発の受託がベースで僕の生計が成り立ってたんで。

それをやる中で、「引きこもって生計は成り立ってるけど、なんかやりたいな」とは思っていた。共同創業者の田中(現・取締役CTOの田中宏樹氏)も社会不適合者なんですけれども。僕は大学を卒業したけど、彼は大学を卒業してないという、僕より社会不適合者だったんですけど。まあ、2人でしょうもないアプリを作ったりしていた中で、「あ、なるほど、こういうエコシステムがあるんだ。ってことは、なんか東京に出てきて、自分がもっと面白いことができるかもな」っていうくらいの感覚だったんです。

手嶋: そうですよね。そんな感じで会社をつくって。そこからですよね。ボツになったものも含めて、結構最初に作ったんですよね。clusterになるまで、どれぐらい作ったんです?

加藤:1ヶ月に1個作ってっていうのを6ヶ月やって、6個目くらいがclusterですね。だから、1ヶ月で1個必ずプロトタイプを作って、誰かに見せていたっていう感じですね。

手嶋: 当時、エンジニア2人で起業したんですよね?

加藤: そうです。エンジニア2人なんですけど、ちょっと正確に言うと、木下さんからの出資、結局1500万円出してもらったんですけど、その出資がまだ決まる前の段階ですね。会社を作ったのは7月7日で、入金されたのが7月の末くらいだったんですけど。

その6月末くらいの時点で、もう東京に出て会社を作って出資してもらうことは決まってると。僕の中ではもう出資が決まっているくらいの気持ちだったんですね。で、京都での仕事で付き合いのあった会社のエンジニアとデザイナーで、「この人たち、めっちゃいいな」って思ってたエンジニアとデザイナーがいたんですよ。その2人を引き抜きに行った。

普通に連絡して、焼き肉を食べながら、「あの、東京に行って会社を作るんで。しかも、VRの世界を作ろうと思ってるんですよ。一緒に作りましょうよ」って言って、辞めさせたっていうのが、会社を作る前かつ資金調達する前だった。

手嶋: じゃあ4人でスタートしたんです。

加藤: 4人でしたね。だからエンジニア3人のデザイナー1人っていうチーム。だから結構作れたんです。

手嶋:毎月1個作ってきて。続けるか没にするか悩んだアイデアって当時あるんですか?

加藤: 全部、欲しいなと思いながら……なんか、全部苦渋の決断でやめてたんだけど。

手嶋: じゃあなんで今(clusterは)絶対やめないんですか?

加藤: もうピンと来たっていう感じではあったんですよね。もうちょっと具体的に言うと、最初の方はVR内で会議するシステムを作ったりとか。今、結構そういうのあったりしますけど。あと、アバターを使ったスマホのライブ配信システムみたいなものも作ったりとか。あと、脱出ゲームみたいなのを作ったりとか。

いろいろやってたんですけど、「これ、自分がやりたいって言えないな」と。こう、ドンピシャで「ここ」みたいな感じが見えるっていうのが、やっぱりなかった。

当時渋谷にあるコワーキングスペースで作ってたんですけど、そこに、いろんな若い人たちが出入りしてたんです。「僕らが作ってるものを若い人たちに見せたいから集めてくれ」って言ったら、当時Skyland Venturesのアソシエイトだった人たちが集めてくれたんですね。それでプロダクトを当ててみたんですけど、すべて反応が微妙だった。

「体力的に疲れた」から生まれたclusterの原型

加藤: その中で、その最後のプロダクトが、一番振り切れてたんですよね。clusterを作る一歩手前は、脱出ゲームを作ってたんですよ。VRでの脱出ゲーム。

今でも覚えてるんですけど、2016年の1月くらいだったので、起業して半年ですね。1月にVRアプリのデモ会みたいなのが渋谷であって。そこに行って、いろんな人にヘッドセットをかぶせてっていうのをやってたんですけど、結論、反応はいいんですけど、何がすごく嫌だったかっていうと、イベントでみんなにヘッドセットをかぶせるというのが、すっごく体力的に疲れたんですね。

純粋に体力的に疲れて。「ああ、こんな体力的に疲れることやりたくねえな」と。もっと家の中で勝手にみんなが使うような、勝手に家の中からみんなが使ってくれるような方向に舵を切りたいと思いました。まあ、頑張って作った脱出ゲーム、もう「明日から作るのやめます」って言って。もちろん、みんな不安になりますよ。

手嶋: 辞めてきた人もいますしね。

加藤: そうです。社員たちが「この会社、大丈夫かな?」と思っている中で、「昨日イベントでかぶせるの、すげえ嫌だったから、この会場自体を作っちゃうか。バーチャル上ですべてできるくらいの抽象度のものをつくろう」って言って。そのプロトタイプが2〜3週間くらいでできたんですね。

圧倒的な反響と「パズルのピースがはまった」感覚

加藤: 実際にそれを世の中に出したら、めちゃくちゃ反応が良かった。VRの黎明期の熱狂的なファンたちがガーッと集まるようになって、明らかに反応が違っていた。そこに広がりがありましたよね。バーチャルな空間というインフラ部分を作る。その上にいろんな世界を、これからのクリエイターの皆さんが出していける。

これはもう、僕が作りたいなと思ったことが、なんかいろんなパズルのピースがはまる感覚というか、音が聞こえてきたっていうのが、clusterというサービスであったと。

ただ、当時から覚悟していたのは、とはいえ時間がかかる事業だなと思って。作るものも膨大だし。あと、最初のプロトタイピングはものすごく張り子の虎で。「1000人集まれます」とか言っておきながらも、たかだか2〜3週間で作ったものなんで、マジでシステム的にもダメダメで。

例えば、バーチャル空間を自由に作って増えていく仕組みもないんですよね。イベントスペースを作るためにはサーバを直接いじらないとみたいな。そんなレベルなんですよね。

まあ、ただ、なんとか動いてるみたいな感じの状態だったんですけれども、なんかすごく反応がヤバかったっていうので、「いや、こっちだ」と。

手嶋: はい、分かりました。えっとですね、比較的やっぱりあの、加藤さん、面白い話がたくさん出てきちゃうんで。今までの話をちょっと前半にしようかなと思ってたんですけど、前半ここでちょっと切らせていただいて、cluster創業までみたいな話ですね。で、後半は創業してからぐらいのちょっと話を聞きたいなと思っています。

じゃあ、加藤さん、前半ありがとうございました。

加藤: ありがとうございました。


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